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海外駐在中の業務負荷によりうつ病を発症した事例

概要

症例:

53歳、男性、土木技術者

中規模の企業に勤め上げてきた、生真面目で責任感の強い土木技術者。2人の娘は既に就職して家から独立しており、妻と2人暮らしです。最近、不安、不眠、抑うつ気分、意欲減退を強く訴え、妻に付き添われて、自ら初めて精神科の外来を訪れました。

本人は、数年前に大企業から受注した、東南アジアでの幹線道路建設工事責任者として、これまで現地に十数回の出張を経験しています。1回の滞在は10日から1か月ほどで、現地の事情はほぼ掌握し、現場では頼りにできる部下もいます。今回の道路建設は1年前に着工しましたが、地盤や河川の水量変動など自然条件が当初の予想以上に厳しく、設計変更をせざるを得ない技術的な問題が出現しました。しかしこのことについて発注元の大企業に必要な報告や手続き変更の手順を踏んでおらず、了承を得ないまま工事が進行しています。技術者として恥ずかしく、責任者として申し訳ない事態に陥っているということです。その上、先日その建設現場で交通事故が発生し、現地労働者に重傷者が出ました。事態収拾のため、本人が2週間後から2年間の予定で現地に赴任することが、会社で急きょ決まりました。

責任者として早急に現地赴任するのが当然と自分でも思いつつも、事故収拾の負荷や、従来からの自責の念に加え、報告を先延ばしにしてきた設計変更を発注元企業に説明し、了承を取りつけなければならない負担感、しかもそのようにまずい対応をしたことで社内でも糾弾されるのではないかという恐れ、さらに治安がよいとはいえない現地での初めての長期赴任の不安などが重なりました。以来、不眠が続き、就寝前の飲酒量が一気に増加しました。いったん寝付いても熟睡できず、早朝覚醒が続き、食欲もなくなりました。ことに最近1週間は、会社に顔向けできないという気持ちから出社もままならなくなり、有給休暇を使って休んでいます。

ポイント

事例の課題

  1. 海外赴任によるストレス以外の業務負荷とサポートの欠如

    この事例は海外駐在員の事例ではありますが、海外赴任という状況以前に、国内でも起こりうるさまざまな要因が交絡しています。まず、顧客に当たる発注元との間に未解決の問題があり、しかもそれを本人が1人で抱え込んでいて、有効な対処行動が見いだせないまま放置されていることがあります。これにさらに新たな業務負荷が加わり、以前からの問題もこれ以上回避できなくなり、本人が早急に単独で解決を迫られる立場に追い込まれたこと、周囲からのサポートが有効に機能していないことも問題です。

  2. 特定の専門家に全面依存されやすい海外業務

    これらの背景として、自責的になりやすく、他者からのサポートをうまく要求できない本人の生真面目な性格が関与していましょう。また、海外での業務は、どうしてもその地域に精通したエキスパートが一人で何役もこなすことになり、派遣元の企業側でも、その特定の赴任者に業務を丸ごと依存してしまう傾向があることも否めません。

対応

  1. 負荷軽減と薬物療法・カウンセリング

    現状のままでの海外赴任は、孤立無援のまま負荷だけが増大することになり、本人の状態をさらに悪化させる懸念が強いと考えられます。そこで診断書により負荷軽減と安静加療との必要性を指摘して、赴任を延期してもらい、自宅療養してもらう一方、抗不安薬・抗うつ薬・睡眠薬による薬物療法とカウンセリングとで、症状を緩和し、本人の回復をはかりました。

  2. 赴任前のサポート、キーパーソンの選定

    しかしながら、現地での本人の役割は余人をもって代え難く、遅くとも1か月半後には赴任せざるを得ない状況でした。そこで本人の症状が落ち着いて、勤務もこなせるようになってきたころを見計らって、発注元企業の事後承諾を取り付ける件に関して、本人に上司と相談してみるよう勧めました。しかし、本人としては自分のミスだという意識が強いため、なかなか自ら上司のサポートを求めることができません。誰か相談しやすい人がいないかと本人にたずねたところ、営業出身ながらも互いに知っている社内の同僚で、現地の隣国に赴任経験もある人物の名が挙がりました。彼に話を何度かきいてもらい、しばらくの後、本人は上司の元に赴き、事態の収拾策についての相談が重ねられるようになりました。同僚に事情を話せたことで少し気が楽になり、設計変更がプロジェクトに及ぼすプラスの側面も見いだせるなど今までと異なる見方もできるようになったと、後に本人は語っています。

  3. 赴任後のサポート強化

    また、赴任に当たっては、現地で信頼するスタッフとの連携を強化して業務分担をはかる、日本に残る妻との連絡を密にとり、なるべく早い時期に妻の帯同を実現させるなど、サポート体制の強化にも努めました。さらに、心の問題のみならず健康一般について海外から気軽に相談できる外部の相談サービス機関の連絡先を紹介しました。

考察

  1. 通常の職業性ストレスの関与

    海外赴任に伴うメンタルヘルスというと、現地の気候や食生活や都市基盤や治安などの社会事情を含めた異文化環境への不適応による問題だと考えられがちであす。しかし実際に経験される駐在員事例は、異文化不適応以前に、本事例のように、日常的に起こりうる様々な仕事上のストレスが関与していることが非常に多いものです。これに対しては、仕事の量的質的負荷の適正な評価や軽減対策、サポートの強化など、国内の職場で行われるのと同様の対応が必要となります。

    また、このように赴任以前の要因の影響もあって、ストレス反応は現地在住期間に限定されず、赴任以前から始まり、さらには帰国後にも起こり得ます。本事例でもそうでしたが、初めて経験する土地ではなく、頻回の出張などで既に現地事情を熟知している場合でさえ油断はできません。

  2. 海外駐在員に特徴的なストレス

    駐在員ならではのストレス要因ももちろん存在します。赴任地域の生活環境因と駐在員のメンタルヘルスとの関連についての報告もあります。赴任先の如何を問わず普遍的に起こりがちな問題の1つとしては、駐在員が、現地の事情と、現地に疎い本社や発注元企業の要求の間で板挟みになりがちなことがあります。こうした情報不足・理解不足を防ぐために現地とのコミュニケーションを密にとってサポートを提供することが、まず勧められます。さらに、本事例のように、その地域の専門家に、派遣元企業が業務を丸ごと請け負わせることが多いことを考えると、専門家としての能力を存分に発揮してもらうために、赴任者にもっと裁量権を与え、日本の派遣元の判断を仰がなくても現地の判断で業務を遂行できるような方策も必要となりましょう。

    なお、帯同家族の問題もあります。家族自身の適応がうまくいくかどうかは非常に重要であり、その如何によって、サポート源にも、新たなストレス要因にもなり得ます。

  3. 外部相談機関の活用

    本事例でも触れた、外部相談機関の活用も勧められます。各種保険会社など、保険加入者に、身体も含めた健康一般に関する相談サービスを提供する機関はいくつかあります。海外邦人医療基金(http://www.jomf.or.jp/)では、会員企業向けサービスのほか、一般向けの海外医療情報も提供しています。