美里 28歳 女性 会社員
何がいやだという自覚はなかったのに・・・
私は大学時代にうつ病を経験した27歳の会社員です。大学進学のため、18歳で地元を離れて一人暮らしを始めました。2年の秋ごろになると、朝が辛くなって午前中の授業を休むようになりました。明け方まで眠れず、眠れたとしてもお昼すぎまで起きられない日が続き、部屋にこもるようになりました。自分でもどうしてそんなふうになったのか分かりませんでした。具体的に何がいやということはなかったので、なまけている自分が大嫌いでした。毎日「自分はいなくなったほうがいいんだろうな」と思っていました。
心配した大学の友人からメールがきましたが、なんだか申し訳なくて返信できませんでした。親からの電話も無視していました。ある日、一緒の大学に通っていた高校からの友人が訪ねてきました。迷ったのですが、すがる思いで扉を開けました。
友人は、私と散らかった部屋を見て驚いていました。掃除をしてくれ、ご飯を作ってくれました。気持ちは嬉しかったのに、食べ物の味が分からなかったです。ひと息ついた後、「精神科に行ったほうがいいんじゃないの?」と言われました。ショックでした。自分はそんなに大変じゃないと思っていましたから。だからその日は怒って友人を追い返してしまいました。
1週間後、また友人はやってきました。ゆっくり話した後、「大学の健康センターに行ってみない?」と言ってきました。体調が悪いのは事実だったので、それならいいかと思って行ってみることにしました。友人の「私もついて行くから」という言葉も心強かったです。
健康センターから精神科へ
大学の健康センターでは、まず体のことを相談しました。体のほうは問題ないと言われましたが、こころが疲れていることから来る、うつ病かもしれないという話を聞きました。まじめな人がかかりやすいこと、なまけではないこと、必ず治ることなどを知りました。ずっと「自分が無能でなまけた人間だからだ」と思っていたので、なんだかほっとしました。そして、精神科の病院の探し方を教えてもらいました。友人に言われた時はショックでしたが、この時は不思議とすんなり受け入れられたのです。
そして初めて精神科に行きました。外出はまだ辛かったのですが、友人に付き添ってもらって行くことができました。病院ではすぐにうつ病の診断が出ました。この時はショックというよりも、原因がわかってスッキリした気がしました。ただ、最初に行った病院では薬を処方されるだけで、あまり話を聞いてくれない先生でした。薬も副作用が辛くてやめてしまいました。そのため病院に行きづらくなってしまいました。しかし、健康センターで「合う先生は必ずいるから一箇所でうまくいかなくても、他の病院をあたってみると良い」と言われたので、別の病院を探すことにしました。
2つ目の病院はゆっくり話を聞いてくれる先生でした。私には合っていたようです。薬の副作用は辛かったし怖かったけど、説明や調整をしてくれたのでなんとか飲み続けることができました。薬も2週間を超えると、だいぶ体はラクになってきて、近所なら外出できるようになり、夜も眠りやすくなりました。
実家での休養と回復
年末、実家に帰ることになりました。親には心配かけたくなくて、うつ病のことは言えないままでした。母は私を見て驚いたようでした。自分では気づかなかったのですが、見た目がだらしなくなっていたようです。あまりにも心配するので、思い切って診断書と病気の説明のリーフレットを渡しました。とにかくゆっくり休みなさい、と言われました。実家に帰ってからも、何もやる気は出ませんでしたが、身の周りのことはやってもらえたので気持ちはラクでした。
冬休みが明ける2日前、父から「辛いなら戻って来なさい」と言われ・・・ホッとして涙が止まらず力が抜けたようでした。休学手続きを取り、実家の近くで通院し、カウンセリングも受け始めました。実家にいるとだいぶ気持ちが落ち着いてきて、少しずつ良くなっているようでした。でも大学のことを考えると辛くなりました。
休学して半年経った頃、親に「まだ大学に行きたい気持ちはあるの?」と聞かれました。正直もう行きたくありませんでした。途中でやめるのには抵抗があり、自分からは言い出せずにいましたが、やっとやめると言えました。アパートを引き払った後は、回復が早かったような気がします。
その後、通院のペースが2週間に1回、1カ月に1回となり、薬も減り、診断が出てから1年半後、ついに担当医から「もう大丈夫」とお墨付きをもらいました。それから地元の大学に編入し卒業。今は会社員として働いています。気づけばたくさんの人に支えてもらっていました。あの時、扉を開いて良かったと思っています。