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第一回 木村政雄さん(フリープロデューサー)

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第一回 木村政雄さん(フリープロデューサー)

違うシーンにいる自分を想像してください。

(残間)吉本興業時代、木村さんはマネージャーや裏方として、芸人さんの心のケアというのはどうされていましたか? 芸能界というのはシビアに結果が出ますから、精神的に追い込まれてしまう方もいたんじゃないでしょうか。

 そりゃー、客に受けなかったり、出たい番組にキャスティングされなかった時、タレントは落ち込みますよね。そういう時にこそマネージャーは役割を果たさなきゃいけないんです。「今日はたまたま客との相性が合わなかっただけだよ」とか、「次のチャンスはきっと創るから」とか。そう言って必ずフォローするようにはしていました。脚光を浴びているタレントは放っておいてもいいんです。モチベーションは上がっていますから。

 浮き沈みの激しい世界ですから、毎日のようにテレビに出ていた人でも、いつの間にか声が掛からなくなったりもします。その時にどうするかですよね大事なのは。テレビに出られないから、もう自分には価値がないんだと思ったらそこで終わってしまいます。じゃあ、これを機会にライブや舞台で頑張ってみようとか、今までやれなかった事にチャレンジしてみようかと考えられることが大事なんです。現にそうやってカムバックをしたタレントは数多くいます。

 これは何も芸能界に限ったことではありません。一般の職場でも同じだと思います。悩んでいる人というのは、この職場ではこうでなきゃいけない、なのにどうして自分にはそれが出来ないんだろう。そんな感じで自らを否定して、追い込んでしまっているんだと思います。さっき言った「テレビがダメなら舞台」じゃないけれど、違ったシーンや別の価値基準に身をおいてみれば、見える景色も違ってくるように思うのですが。

 実は僕、この間、家族四人で北海道厚沢部(あっさぶ)に九日間ショートステイしてきたんですよ。何をしにいったかというと、家族四人で運転免許を取りに行ったんですよ。うちの家族は誰も免許を持っていなかったんです。始めは夫婦でと思ったんですが、子供たちに話すと、「じゃあ僕達も」ということになりまして。

 何もかもが新鮮でしたね。夫婦親子が同じ教室で勉強したり、宿で答え合わせをしたり。小さな町で住人皆が知り合いですから、誰も鍵などかけないような所なんですよ。夫婦でブラブラしたり、知り合いが出来たり、東京や大阪で仕事をしているときとは違う自分や家族を見つけた気がします。

 人は働いている時が全てじゃないんです。家族としての自分もいるし、住んでいる地域の中の自分もいる。幼ななじみや学生時代の友人たちのなかの自分。それぞれ違うシーンがあって、違う人間関係があることを思い出して欲しいんです。当たり前の話なんですが、きっと楽になれると思うんですよ。

とは言っても追いつめられているゆえに、そこに思い至らないわけで、なかなか難しいですよね。

 だから周囲の方や上司の果たす役割はとても大きいと思います。悩んでいる人が一つの価値基準に囚(とら)われてしまうというのは、その基準で評価を下される土壌があるからなのです。当然上司も、限られた枠組みや一つの価値基準でしかものが見えなくなっていたりする場合もあります。そうした傾向は、大きな組織や古い組織ほど顕著であるように思いますね。人間の体と同じで、硬直化しやすいということでしょうか。小さな組織や新しい組織はその辺りが柔軟なんです。いわば何でもあり、ストレスフリーですよね。

 ケースバイケースで対応はとても難しいのですが、悩めるひとの周囲の方や上司には出来るだけ柔軟であって欲しいと思います。少なくとも当事者を理解して欲しいし、理解しようとしていることを伝えてあげてほしいと思いますね。なにより大切なことはホスピタリティ(思いやる心)なんじゃないんですかね。

今、悩まれている方に、何かメッセージがあればお願いします。

 人生に、こうでなきゃなんて答なんてないんです。職場ではないシーンに身をおいてみてください。そこには職場とは違う答があるはずです。その答えにしても5+5は10しかありませんが、答えが10になる計算式は1+9もあれば2+8もあるし7+3や6+4もあるのです。小数点まで使えばもっといっぱいあるのです。一つの答えに向って汲々(きゅうきゅう)とするのではなく、場面や時間軸を変えてみてはいかがでしょう。 人生って、もっと緩く、いい加減でいいんじゃないか、そう思いますけどね。

(2009年9月 撮影:岡戸雅樹)

木村政雄(フリープロデューサー)

木村政雄(フリープロデューサー)
1946年京都市生まれ。
同志社大学を卒業後、吉本興業株式会社入社。
横山やすし・西川きよしのマネージャーを務める。MANZAIブームを仕掛け、東京事務所をはじめ、吉本興業の全国展開を推進。
常務取締役就任後、2002年退職。
現在は事務所を設立し、講演・執筆活動、テレビ・ラジオのコメンテーターの他、エンターテインメント事業や地域活性などにも取り組む。
50歳からのフリーマガジン『5L(ファイブエル)』編集長。

残間里江子 Rieko ZAMMA プロデューサー

残間里江子(プロデューサー)
1950年仙台市生まれ。アナウンサー、雑誌編集長などを経て、80年に企画制作会社を設立。
プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。