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第六回 斎藤由香さん(エッセイスト)

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第六回 斎藤由香さん(エッセイスト)

父のありのままを受け入れていました

斎藤由香さんのお父さんは北杜夫 (きた もりお) という有名作家であり、精神科医なんですが、同時に「躁うつ病」患者としても知られています。こんな風に"知られています"なんて口に出来るのも、ある意味、北杜夫さんのひとつの功績ですよね。

 父はよく「パパは作家としてはダメだけれど、『躁うつ病』を世に知らしめた功績はある」と言っております。高度経済成長の時代でみんなが頑張っている時に、しかも精神医学に理解がない時代に、病名を語ったのは勇気がいったかもしれません。そういう意味では父は精神科医なのだと思います。

2009年の1月に親子対談として、『パパは楽しい躁うつ病』という本をお出しになっています。お父さんの病気を中心に語りあっているわけですが、躁状態の時は、本当に大変だったみたいですね。

 私が小学1年生の時に躁病になったのですが、最初は私も母もビックリするだけでした。父はそれまでたいへん言葉使いが丁寧で、家族同士で「ごきげんよう」と挨拶するような家でした。それがいきなり母のことを「喜美子のバカ!喜美子が先に寝やがるからオレ様は蚊に食われたじゃないか!」ですから(笑)。

 さらに突如、「チャーリー・チャップリンのような喜劇映画を作りたい!」と言い出して、その資金稼ぎに4つの証券会社と株を始めたり、日本から独立すると言い出して、大真面目に「マンボウマブゼ共和国」の国旗や国歌を作ったり。

 とにかく"躁"の時はエネルギーがあふれてて、一日中起きているんです。

本ではたいへんユーモラスに語られているんですが、実際にはしんどい場面もあったんじゃないですか。

 いえ、楽しかったですね。むしろ"躁"の時の父は、大声で歌を歌ったり、漫画に熱中していたり、感情の起伏が激しくなっているので映画を見てわんわん泣いたり、面白くて、むしろ好きでした。株の売買は別ですけれど。

 小学生の時に、父が家の前に大きな文字で、「当家の主人 只今発狂中! 万人注意す」って看板を出したこともありました。私のクラスメートが全員見学に来ましたが、全然恥ずかしくなかったです。というより一緒になって面白がってました(笑)。それで "うつ"の時は寝てばかりですから、私には特に実害はありませんでした。

 ただし、母は大変だったと思います。父が株をやったり、出版社からお金を前借りしようとするのを止めると、その度に「喜美子は作家の妻として失格だ!家から出てってくれ!」と怒鳴られてました。母は「今の時代だったら絶対離婚している」と言ってます。株のせいで夫婦別居となり、破産もしました。

 しかし母が偉かったのは、父の病気を深刻にしなかったこと。1~2度だけ、台所で涙ぐんでいるのを目にしましたが、他は全く普通でした。そんなわけで、私に父のことを恥ずかしいと思わせず、家庭を悲劇的な雰囲気にしなかった。ですから私は学生時代、父の病気を友だちに隠さなかったんです。「今、うちのパパは躁病なの」って。

何がお母さんを支えていたんでしょうか。

 祖父・斎藤茂吉の妻である義母・輝子に父のことを嘆いたら、「斎藤家は代々、変人が多い家です。私も茂吉とあわなかったけれど、お父様が、『看護婦になったと思って茂吉に尽くしなさい』と言われました。喜美子も看護婦さんのつもりで接しなさい」と言われ、覚悟を決めたようです(笑)。

 当時、離婚する人も少ない時代で、「離婚」という選択肢を思いつかなかったんじゃないでしょうか。それに父の場合は夏は"躁病"、冬は"うつ病"というサイクルがありましたので、夏の"躁"を乗り切れば、という面もありました。

 父の職業が作家だったというのは幸いでしたね。これが毎日、決まった時間に出勤しなければならないサラリーマンだったら、かなり厳しかったと思います。

「代々、変人が多いから」というのもすごい説得の仕方だと思いますが(笑)、由香さんの対応も「ちょっと変わってるお父さん」ぐらいで、あっけらかんとしたものだったようですね。

 腫れ物扱いするようなことは全くありませんでしたね。そんなわけで、"うつ"の時も今だったら患者さんに言ってはいけない言葉を父に言ってました。

 「パパは弱虫だから、うつ病になるんだよ。少しは体操をしたり、散歩をして元気にならないと!」と言って、寝込んでいる父を無理矢理散歩に連れ出したり(笑)。

 よく、「うつ病の方には、頑張ってと言ってはいけない」といいますよね。私は精神医学の専門家ではないですが、そのように決めつけて、患者さんと距離感を取るのはどうかなと思います。

それは、やはりベースとしてお父さんへの深い愛情があったり、互いの信頼関係あるからでしょうね。本の中には、お父さんと一緒の写真がたくさんありますが、由香さんは全部笑顔です。奥様には果たせない役割を、子供である由香さんが担っていたんじゃないですか。

 さあ、どうなんでしょう。自分ではわかりませんが。

今、日本では多くの方がうつ病に苦しんでいて、自殺者も年間3万人を超えています。この状況を由香さんはどう捉えていますか。

 私は25年サラリーマンとして働いてきましたが、この5、6年で本当に周囲で増えていることを実感しています。私の入社当時は新聞・テレビで"うつ病"という言葉を聞くことはありませんでした。せいぜいノイローゼぐらいでした。

 私が父と『パパは楽しい躁うつ病』の対談集を出版することにしたのも、心の病に苦しんでいる方に少しでもお役に立てればと思ったからです。この本のせいか、最近ではうつ病に関連した集会や講演会に呼んでいただく機会が増えています。

伯父様の精神科医の斎藤茂太さん(故人)とも本をお出しになっていますし(『モタ先生と窓際OLの心がらくになる本』)、今年の3月には評論家の小倉千加子さんとも、うつ病に関する本(『うつ時代を生き抜くには』)を出すそうですね。

 私はうつ病に関しては素人ですが、伯父からも小倉千加子先生からも、とてもいい言葉を聞いています。

 伯父が言っていたのは、「日本人は真面目な上に自分と他人を比較する人が多い」と。恵まれているのに幸福感を実感できない。何かの欠落感を感じて、「もっともっと」と自分を追い込んでしまう。それを伯父は「モアモア病」と言っていました。仕事でも人間関係でも100%の完璧を追い求めず、80%でそこそこ満足することが大切だそうです。

 それから小倉先生の言葉にも感動しました。「アメリカからやって来た成果主義というのが幅を利かせている今の世の中で、心が折れないほうがおかしい」と。うつ病という形で悲鳴を上げるのが、本来の人間らしさともおっしゃってました。

 私の心に強く響いた小倉先生の言葉を紹介させていただきますね。

 「幸か不幸かうつ病になってしまった人は、自分が弱い人間などと悲観する事はない。また新しい人生の、新しい価値を見つけるチャンスなのだと認めよう。人間には、自分で自分の心の声を傾聴する使命がある。人生は何度でも軌道修正できる。うつ病はそのことに気づく重要なきっかけを与えてくれる。人間は心の病でも身体の病でも、必ず治癒力が備わっているものなのである。」

 私の友人にもうつ病に苦しんでいる方がいますが、特に小倉先生の言葉は、心の悩みを持つ多くの方々に勇気づけてくれるものだと思います。

(2010年1月 撮影:岡戸雅樹)

斎藤由香(エッセイスト)

斎藤由香(エッセイスト)
祖父は歌人・斎藤茂吉、父は作家・北杜夫。
成城大学文芸学部国文科卒業後、サントリー株式会社入社。自称「窓際OL」として、会社員を続けながらエッセイを執筆。
現在、週刊新潮で『窓際OL すってんころりん日記』を連載中。
著書に、歌人・斎藤茂吉の妻であり、祖母・輝子の生涯を描いた『猛女とよばれた淑女-祖母・齋藤輝子の生き方』(新潮社)、『窓際OLトホホな朝ウフフな夜』『窓際OL会社はいつもてんやわんや』『窓際OL親と上司は選べない』『モタ先生と窓際OLの心がらくになる本』(ともに新潮文庫)、『パパは楽しい躁うつ病』(朝日新聞出版社)、『うつ時代を生き抜くには』(近日刊行予定)がある。

残間里江子 Rieko ZAMMA プロデューサー

残間里江子(プロデューサー)
1950年仙台市生まれ。アナウンサー、雑誌編集長などを経て、80年に企画制作会社を設立。
プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。