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第九回 山本文緒さん(作家)

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第九回 山本文緒さん(作家)

小説が書けなくても、私は無価値じゃない。そこに気がつきました。

OLを経て作家デビュー。『恋愛中毒』で第20回吉川英治文学新人賞受賞、
さらに『プラナリア』で第124回直木賞受賞。 順調にキャリアを重ねていた山本さんがうつ病を発症したのは、2003年、40歳の時でした。
以来、病との闘いが始まり、そのピーク時には自殺衝動にも悩まされます。
約6年にも及んだ闘病生活の間、山本さんは小説を一切書くことができませんでした。
(この時のことはエッセイ『再婚生活~私のうつ闘病日記』に描かれています)
今は「完治しました」と笑顔で答えられる山本さんに、闘病生活を振り返っていただきました。

山本さんの闘病の記録、『再婚生活』を読ませていただきました。病気がよくなったり悪くなったり、いきつもどりする様子が克明に書かれているんですが、うつ病に苦しんでいる人にとっては、プロの書き手がこの病の苦しさを"文字化"してくれたことは、大きな励みになったんじゃないでしょうか。

 雑誌に連載していたものなんですが、精神状態が悪い時に書いたものですし、一時は本にするのは無理かと思っていました。そのせいで、逆にずいぶんと恥ずかしい事まで書いてしまったところもあります。ですから、そう言っていただけると嬉しいです。

「書く」というのは、いい事も悪い事も記録に残りますから、後から救いになりますよね。いい状態の時もあっても、どうしても記憶というのは悪いことばかり強く残りますから。自分の気持ちを整理することもできそうです。

 いい時もあった事を思い出すというのは、いいことですね。ただ、日記を書くのは好きで、高校生の時からずっとつけているんですが、それで気持ちは整理されているんですかねえ………? 何だか無駄遣いしている家計簿を、延々とつけているような気もしますが(笑)。ひとつの反省もなく。

『再婚生活』は症状が重くなった2年ほどの間、中断するんですが、この時期は実家での療養生活に入っていますね。この決断は十代ならともかく、30歳過ぎた大人には、簡単なようで難しいですよね。夫は別としても、大人なんだから周りに頼っちゃいけない、それも年老いた親を頼るなんて、とつい考えがちです。

 実家で療養できたことは、正直、助かりました。私も「大人なんだから親に迷惑かけちゃいけない」という意識が強かったんですが、一方で心静かに過ごしたいと思っていました。そういう場所は、私には実家しかなかったんですね。

 あの時期は記憶がはっきりしないんですが、実家に行くことは、多分、夫か兄が提案したのだと思います。自分ではなかった気がします。

でも日常的なところが立ち行かなくなってきたら、親に頼るのもしょうがないですよね。

 確かに、私自身もうつになりかかった時期がありましたね。

 私は病気がひどくなって、"段取り"というのがとれなくなったんです。だから料理ができません。買い物に行くのも難しい。そうすると食事をきちんと取れなくなり、薬の服用も守れなくなるんです。

 その他にも掃除や洗濯といった家事ができなくなったんですが、そのできないことがまたストレスになりました。

 幸い、私の親は「ここは私らが頑張らねば」と、張りきってやってくれました。かえって元気になったぐらいで(笑)。実家ではすべてを任せて、静かに過ごすことができました。

そういう日常の小さな「助け」が大きかったと。

 親でなくてもいいんですが、周囲に「助けて」と言うことは大事だと思います。でも、それが言えないからウツウツするんですけれどね(笑)。

 「私を助けて」と言われたら、相手も困ると思うんです。根本的なところは誰にも助けられませんから。でも、食事が用意できないからオカズを買ってきてとか、ゴミ出し、掃除といったこと。そういう具体的なことは、頼った方がいいと思います。

 そういえば、夫に髪を洗ってもらったのが、とても嬉しかったですね。自分で洗いたいんですけど、洗えないんですよ。

病気のひどい時期は、自殺衝動にも悩まされたようですね。『再婚生活』の後から加筆した部分では、「死ね死ね団がやってくる」と表現されていましたが。

 死にたいと思いましたね。そこまで病気が悪くなってくると、もう自分しか見えていないので、社会や他人と比べて自分はどうだという劣等感みたいなものはないんです。でも、もう何年も小説を書いてなかったので、これ以上休んだら作家としてお終いだと思っていました。働くことをやめなきゃいけないという恐怖がありましたね。

世の中から取り残されていくような感じでしょうか。

 そうですね。「山本文緒」というのはペンネームなんですが、私は「山本文緒」をやめるのかと。小説以外に自分でできることは少ないですし、何かパートでもして暮らしていくのかなって思いましたね。

 平凡に暮らしていくのが嫌なわけではないんですが、これまでの仕事で知り合った人間関係が、全部ダメになってしまうというのがつらかったです。いくら仕事で知り合ったとしても、信頼関係は生まれますし、好意を持ったり、友達のようになった人たちと、もう二度と会えなくなると思うとつらかったですね。

仮に作家をやめたからって、そう簡単に人間関係はなくならないと思いますが、そこまで思い詰めてしまうんですね。

 思い詰めますね。

  日記や手紙を書くのは好きでしたが、私は作家志望でもありませんでしたし、文学少女でもありませんでした。普通にOLをやっていた、ただの不器用な人間だったんです。

 それで小説って、私が初めて人に手放しで褒められたことだったんです。だからそれを失ってしまうと、人が自分の前から去っていくんじゃないかという恐怖がありました。

 でも、小説を書いていない自分は価値がないと思い込んでいたのが、そもそもの間違いだったんですね。今はもう、小説を書かなくても、自分が無価値ではないことがわかりました。

自分の居場所というか拠り所が、何かのきっかけで危うくなった時、つい自分が無価値だと思い込むのは、想像に難くないですね。小説がそれだけ山本さんにとって大事なものだったのでしょうね。

 ある日、夫に、「私、もう小説は書かないかも」と言ったら、「いいよ」って、普通にフラットな感じで言ってくれたんですね。それはすごく嬉しかったです。病気が治るようにがんばろうと思いました。

 考えてみたら、夫だって病気になる可能性はゼロではないですよね。会社を辞めなくてはいけなくなるかもしれません。その時に私も、「具合が悪いなら会社辞めてもいいよ」と夫に言えるよう、仕事をしたいと思いました。

その他に、何か立ち直りのきっかけはあったんでしょうか。

 決定的なことは何もありませんでしたね。時間の積み重ねだけじゃないでしょうか。2003年に発症して2004年の後半くらいがピークだったと思いますが、私の場合は、だんだん悪くなっていって、それと同じだけ、治るのに時間がかかったみたいです。

治っていくにしても、少しずつですし、短期的には悪くなる時期もあると思います。この時の気の持ちようというのは難しいと思うんですが、山本さんはどう乗り切っていましたか。

 確かに、すぐに良くならないのでイライラします。でもそこは時間をかけるしかないんですね。それで、その時間稼ぎの間は、なるべく楽しいことで埋める。何か美味しいものを食べに行くとか、ちょっとしたことでいいんですが。

 それから私が個人的に思ったことですが、自分を分析するのはやめた方がいいですね。なぜ自分はうつ病になってしまったのかとか。

でも、そこを一番考えたくなるのでしょうね。自分の生い立ちが原因なのかとか、親の価値観、世の中の何か、誰かのせいかとか、病気の手がかりを得たくなります。

 でも、それはいくら考えてもわからないことなんです。

 例として出すのは不謹慎かもしれませんが、ガンの原因もそうですよね。これという明確なものはないです。食生活かもしれないし、運動不足かもしれない。遺伝子も関係あるかもしれない。でもそれらに気を付けていてもガンになる人はいる。同じようにクヨクヨしているからって、誰もがうつ病になるわけではないですよね。

 私の場合は、不摂生をして不健康な身体でいたから、「うつ」という病気を生んだんだと、自分で結論をつけました。それ以上は、もう考えないことにしました。

周囲の対応についてお聞きしたいんですが、何か気になったり、言われて嫌だったことはありますか。うつ病に対しての理解は深まりつつありますが、どう接していいか分からない人も多いと思います。

 その「どう接していいかわからない」というのが、こちらにはすごく伝わって来るんですよ。

 嬉しかったのは、普通に私に会って、世間話をしてくれた人ですね。

 「元気? どう?」という感じで。それでちょっと先の楽しみ、また一緒に映画に行こうとか言ってくれたり、病気なんかないように接してくれて。

『再婚生活』を読んでいて感じたのは、パートナーやご両親、兄弟、そして秘書の方、そういう周囲の支えの大切さです。先ほど、病気の一番ひどかった時の記憶ははっきりしないとおっしゃいましたが、完治した今、その時期のことを話し合ったりすることはあるんですか?

 こちらから聞けば話してくれますが、向こうから話すことはあまりありませんね。私は自分が変になっていた時なんで、なかった事にしておきたいですし、多分、彼らも思い出したくないんだと思います。

 もちろん、彼らにはいくら感謝してもしたりないです。両親や夫が介護の時期になったら、「今度は私にまかせろ!」ですよ。

今回の経験は、これからの山本さんの小説作品に反映されたりするのでしょうか。

 それは何とも言えないんですが、結果的に、この時期に休めたのは良かったと思います。現役の作家が、40歳から45歳という期間、普通は休めないですよ。ある作家の方は私の様子を見て、「私も5年くらい休んでもいいかな」と思ったそうです。

止まってしまうことの恐怖ですね。休む勇気の大切さを感じます。今日は貴重なお話をありがとうございました。

 こちらこそ、お役に立てていただければ嬉しいです。

(2010年11月 撮影:岡戸雅樹)

山本文緒(作家)

山本文緒(作家)
1962年神奈川県生まれ。
OL生活を経て、’87年に『プレミアム・プールの日々』でコバルト・ノベル大賞、
佳作入選。’99年『恋愛中毒』で第20回吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』 で第124回直木賞受賞。
『群青の夜の羽毛布』『パイナップルの彼方』『絶対泣かない』『落花流水』『そして私は 一人になった』『再婚生活~私のうつ闘病日記』『アカペラ』等、著書多数。

残間里江子 Rieko ZAMMA プロデューサー

残間里江子(プロデューサー)
1950年仙台市生まれ。アナウンサー、雑誌編集長などを経て、80年に企画制作会社を設立。
プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。