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第八回 皆川 一さん(経営コンサルタント)

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第八回 皆川 一(経営コンサルタント)

誰かに悩みを伝えてください。自分一人では、最良の選択は得られません。

皆川一(みながわ・はじめ)さんは、故渥美清さんの付き人になったことをきっかけに、
芸能の世界で裏方として活躍。
大手劇団の公演を成功させ、ついには舞台制作の会社を設立します。
しかし経営に失敗し、莫大な借金を抱えることに。
資金繰りに行き詰まった皆川さんは、服毒自殺を試みるも未遂に終わります。 今回のインタビューでは、自殺未遂に至る経過、さらにそこから皆川さんが、 どう立ち直っていったかを伺いました。

皆川さんはかつて自殺を決意し、実際に試みた経験があるわけですが、「自殺」に対する見方は、それ以前、以後で変わりましたか。

 まったく変わりました。かつては自分が自殺するなんて、夢にも思っていませんでしたから。中学生の時に私の同級生が自殺したのですが、ショックではありましたが、彼の気持ちは理解できませんでしたね。

 自殺者に対して、「死ぬ気があるなら、何でもできるのに」なんて言ってはばかりませんでした。本当に傍観者でしたよね。

そんな皆川さんが自殺を考えた時というのは、自身の内面で何が起こっていたんでしょう。

 私は80年代に大手劇団の営業企画として、いくつもの公演を成功させました。大企業と交渉して、億単位の協賛金を調達したこともあります。しかし自分自身で公演の全体をプロデュースしたくなり、舞台制作会社を興して独立したんです。

 自分の実績や能力には自信がありましたが、加えて、それまで勤めていた大手の劇団に対して、「負けられない」という強い対抗心もありました。ですから、つい身の丈以上の規模で公演を行ってしまったんですね。おかげで、常に経営は綱渡りの状態でした。

 そしてついには、そのとき抱えている損失を、次の公演のチケットを売ってつじつまを合わせるようになります。まさに自転車操業状態です。八方塞がりどころか十方塞がり。徐々に破綻する時が見えてきます。

 一方で会社に所属する女優さんやスタッフは、みんないい人ばかりで、私を信じてついてきてくれている。「この人たちを不幸にする時は、俺が死ぬ時だ」と思っていました。自殺を考えた背景には、まず経営者としての責任感、プレッシャーがあったと思います。

 それから会社を潰せば、社内だけでなく、取引先にも大きな迷惑をかけることになります。私は商人の子でしたから、それは受け入れられない事態でした。契約書がなくても、約束は必ず守るものだという信念がありましたから。

 ただ今にして思えば、そんな責任感だけでなく、私にとって「自殺」というのは、最後の”エエカッコしい”だった面が大きいと思います。自分の将来に絶望したというより、金策が尽きた時に、もう自分のプライドを守れないと思ったんでしょうね。そこから自殺することで責任を全うするんだ、という気持ちが生まれていったんだと思います。

 それに死をもって償ったことに対して、みんな私を称え、悲しんでくれるだろうとも思うようになっていました。「死ぬ美学」、そんなことを考えていたんです。

確かに「死=散る」というイメージは、最後の見栄ともとれます。

 でも、実際は全然”エエカッコしい”にはならないんですね。私が服毒自殺を試みたことがバレた時、ある人に「死んでも何にもならないぞ。ただの犬死にだぞ」と言われました。

 確かにそうなんです。周りの人間も死んで一週間ぐらいは悲しむでしょうけど、すぐに日常に戻っていきます。身内だって、じきに表面上は笑顔が戻ります。自殺は究極の自分勝手でしかありません。そんなことも気づかないくらい判断力を失っていたんですね。

皆川さんの著書『七転び一起き』には、自殺を考えながらも逡巡している頃、一発逆転を狙って宝くじを30万円分買ってしまうエピソードが出てきますね。

 確かに、私自身もうつになりかかった時期がありましたね。

 ええ、買いましたね。自殺を考えながらも、何かが起きて奇跡的に事態が好転するのではという期待もあったんです。もちろんそう都合よくは当たりませんでしたけれど。

 それから私は地震が大嫌いで、地面が揺れるのが心底怖いんですが、あの時期は地震が起きると「もっと揺れろ!」と叫んでました。東京に大震災が起きて、私の会社も借金も、全て燃やし尽くしてチャラになればいいのにと、本気で思っていたんです。もう思考が全部狂ってました。

かつては自分が自殺するはずがないと思っていたのに、どうしてそんな負のスパイラルに陥ってしまったんでしょう。

 親当り前なんですが、自殺の相談って、普通しないですよね。責任感が強かったり、プライドの高い人はなおさらです。それで自分だけで考えてしまう。自分だけで考えて判断するから、絶対に最良の選択にならないんですね。

 だから、死を考え始めたら、その事を誰でもいいから伝えるべきだと思います。「いのちの電話」でもいいし、むしろ近しい関係じゃない方がいいかもしれません。とにかく伝える。弱い自分をさらけ出す。そして泣きたい時には、思いきり泣けばいいと思います。

皆川さんの立ち直りのきっかけは、何だったのでしょう。

 まず自殺が未遂に終わって、遺書を会社の人間に読まれ、私が自殺しようとしたことが、周りに知られてしまったことですね。自殺したいと思ったら、それを誰かに伝えるべきと、さっき言いましたが、私の場合は意図せずそうなってしまいました。知られたのは嫌でしたが、ホッとしたのも事実です。

 「お前が死んでも何も世の中変わらない」「会社を潰してもいいんだよ」周囲にそう言われました。多くの方に迷惑をかけましたが、会社をたたみ、自己破産しました。

 それから、自殺を覚悟した時まで持っていたプライド、見栄、自分らしくありたいという欲。これらを全部捨てたことも、立ち直る上で大きかったと思います。私はそれから塗装業の会社に入って営業をやったんですが、あの業界では、誰も私の事なんか知りません。それまで私が積み上げてきたものは、全部捨てての再スタートでした。

皆川さんは、そこでトップセールスマンとして成功しますね。でも、どうして塗装業だったんでしょう。

 働き始めたのは、家族を養うためでしたから、稼げれば何でも良かったんです。もう二度と芸能の世界では働けないと思っていましたし、だったら全く経験のない方が、やれそうに思えたんですね。

 例えば、私は英語は話せません。でも、中学、高校と習ってはいました。だから今、英語をやれと言われても無理な気がします。でも中国語ならやれそうな気がするんですよ。一度も勉強したことがないから。(笑)それに経験がない分、吸収する力も向上心も、他の人よりも強かったかもしれません。

最後に今、心に悩みを抱えている方に、何かお言葉をいただけますか。

 私はその後、塗装業の営業から独立し、現在は経営コンサルタントをさせていただいているんですが、経営者の方に、よく「行き詰まったら、一度ゼロに戻りましょう」と言います。

 個人も同じで、生まれた時のように、一度ゼロに戻ってみたらどうでしょう。生まれた時はマイナスではなく、あくまでゼロなんです。そして、生まれたこと自体が二重丸、大きなプラスじゃないですか。

 それから自殺を考えていた時の私というのは、思い通りにならない現実に「何故なんだ、何故なんだ」と自問ばかりしていました。何もかも自分でコントロールできると思っていた。しなきゃと思っていた。でも今は、人間って、自分の力で生きてるんじゃなくて、"生かされている"と思っています。

 私の好きな言葉に「全ては必要必然、無駄はなし」というのがあります。私が会社を潰した経験も、今の経営コンサルタントの仕事に、大いに生かされていますよ。

(2010年8月 撮影:永野雅子)

山本文緒(作家)

皆川 一(経営コンサルタント)
1957年東京生まれ。劇団員や故渥美清氏の付き人などを経て、
77年に舞台制作会社を創業。
83年から大手商業劇団の制作に関わり、「CATS」や「オペラ座の怪人」などを手掛ける。
93年、経営していた会社が倒産。2度の自殺未遂、自己破産を経験。
人生のどん底を味わうも心機一転、建設業に転身。
現在は、都内で経営コンサルタントとして活動している。
著書に自身の経験をまとめた「七転び一起き」がある。

残間里江子 Rieko ZAMMA プロデューサー

残間里江子(プロデューサー)
1950年仙台市生まれ。アナウンサー、雑誌編集長などを経て、80年に企画制作会社を設立。
プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。