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[事例1-33] 海外勤務で上司との反目と身体不調がうつ反応と過飲・無断欠勤、退職に至った事例

概要

年齢: 34歳
性別: 男性
職業: 家電メーカー営業担当海外駐在員
経過:

 Sさんは3年間の予定で中米の関連会社に赴任しました。上司は早々に営業関係の仕事を大幅に任せてくれ、やり甲斐がありました。ところが半年後に上司が交替しました。新任の上司は前の上司とは打って変わって厳しく、細かいことまで干渉がましく指図します。鬱々としていたところへ、仕事を渉外から営業用の資料作りに替えられました。人が作った資料をまとめるだけの仕事は、まるで「人間スキャナー」です。面白くなく、夜も寝付けなくなりました。

 上司の覚えが悪いうえに他の駐在員にも変人扱いされ、現地社員とも打ち解けず、孤独感が募りました。袋小路に追い詰められた気持ちでした。睡眠薬を飲んでも熟睡できず、いつしかウィスキーを毎晩ボトル一本近く空けるほどになりました。不眠と過飲のせいでいつも体がけだるく、そのうえ赴任前に罹った奥歯の歯根炎に副鼻腔炎が併発して、これがなかなか治りません。鼻がよく詰り、頭がボーッとして仕事に熱が入りませんでした。

 配転数か月後、熱が出て現地の病院に受診し、風邪とアルコール性肝障害との診断で入院しました。この際、主治医は上司からの依頼を受けたと見え、精神科医受診を指示しました。ところが面接ではホームシックだの何だのという見当外れの見立てで失望し、その後二度と面接を受けませんでした。数日後の夏期休暇の前日、熱が下がって退院し、故郷で休日を過ごすため翌日帰国の途につきました。

 一時帰国時健診で診察した産業医は、上司から事情を伝えられていた人事課長の意を受けて、彼に精神科受診を勧めました。精神科医は「抑うつ状態」と診断し、「焦燥と閉塞感からアルコールに逃避している。状況因として職場環境が問題」だとしました。急な異動が難しいので彼は一旦任地に戻りましたが、その後も上司とはうまくゆきませんでした。しばしば無断欠勤を繰り返し、幾度か「体力低下」を理由に数日間入院もしました。このような状況を知った産業医は精神科医と相談し、人事課長に「現地での勤務継続は無理。早急に帰国のうえ治療が望ましい」と伝えました。会社はそれを受けて本人の帰任を決めました。

 帰国当夜は会社の近くに泊まり、翌日一旦出社の後、精神科医の面接を受けるという段取りでした。ところが当日、約束の時刻に出社せず電話にも出ないので、人事課長がホテルまで起こしに行きました。夜明け近くまで酒などで羽目を外したようで、面接では「酩酊状態で判断力を欠き、診断は困難」とのことでした。後日再診の結果、断酒のため教育入院が必要とされ、本人も治療を受けて仕事を続けたいと望んだので、専門病院に紹介されました。

 入院中、AA(Alcohol Anonymous)断酒会に加わりましたが、他の会員の破滅的な生き様を知って距離を感じ、AAに絡めた治療は意味がないと見て退院し、通院もしませんでした。その後あれこれ思い悩んだ末、「会社に強いられた精神科治療から開放されたい」と、経済的には苦しいけれども退職を決意しました。会社は躊躇なく辞表を受理しました。退職後本人から人事課長に宛てた源泉徴収書送付依頼の手紙に、次のような文がありました。

 「‥‥退職後、自分の病気は一体何なのかを知りたくて検査を受けました。結果は失明の危険があるほど進行した副鼻腔炎とのことで、すぐ手術を受けました。歯根炎から波及したものだそうです。また不眠は睡眠時無呼吸症候群のせいとのことでした。とも角、今は鼻からガーゼが外され、呼吸が大変楽になりました。頭重感やめまいも取れ、不眠も解消へと良いことづくめです。それにしても在職中の精神科受診は、結局、半年も原疾患の発見を遅らせただけで、会社にとっても私にとってもおカネと労力の無駄な消耗でした・・・」

 以上が本事例の概要です。上司との反目と身体的な不調がうつ反応と過飲・無断欠勤などの問題行動の契機となり、このため退職に至ったケースですが、なぜこのような事態になったのでしょうか。

ポイント

職場の課題:

 赴任当初の上司との関係は良かったのに、交替した上司とはうまくゆきませんでした。上司の当人への対応が高圧的で、特に当人が「人間スキャナー」と評する脇役的業務への配転は、二人の離反を決定的にしました。しかし上司と他の駐在員や現地社員との間柄は円満で、親会社人事担当者の二人に対するそれまでの評価も悪くはなかったようです。結局、相性が悪かったということになりますが、上司については、部下の気持ちを汲むという配慮や、適材を適所にとの判断が充分ではなかったようです。本人の忍耐力が乏しく、態度が不遜であったところへ、上司に清濁合わせ飲む包容力がなかったせいかもしれません。

 海外では日本人が少ない職場で日本人上司に疎外されると逃げ場がありません。駐在員は若手でも一般に管理職扱いで、国内勤務よりも裁量性は高いものの、その分責任は重くなります。責任感が強ければ過労に陥りやすく、手腕が伴わなければ自信をなくしてうつに陥る素地があるわけです。言葉や考え方が違う現地社員との間に齟齬を生じる例も稀ではありません。メンタルヘルス不調者、自殺者は一定の要件を満たせば労災保険の補償対象ともなり、業務との関連が認められるメンタルヘルス不調には、事業者の管理責任が問われる傾向にあります。このため、派遣前に駐在員全員にメンタルヘルス教育を行うことは非常に重要だといえるでしょう。

対処とその評価・考察:

 メンタルヘルス不調では身体疾患以上に医師・患者間の意思疎通が大切で、言葉が通じにくい海外では医療的対応は一般に困難です。不眠や軽い体調不良の場合は、まず休ませて心身の疲労回復を図るべきですし、言葉に不自由がなく、現地担当医が日本人の心情に理解が深ければ、現地で精神科的治療を受けるのもよいでしょう。しかし一応の勤務ができていても、作業能力が著しく低下しているとか、身体的不調が強い場合、あるいは逃避願望や被害妄想が見られる場合は、躊躇せず帰国させるのが一般的には無難です。したがって本件での産業医の対応は、概ね妥当であったといえます。

 当人が問題行動を起こした直接のきっかけは上司との不和ですが、もしこれが国内での出来事であったなら、人事課長や産業医の早期介入によって問題は回避できたかもしれません。あるいは産業医が当人や上司と知己の間柄であったならば、電話やメールで一歩踏み込んだ対応もできたでしょう。普段から親密な関係を築いていれば、地理的に離れても心理的距離は近くなります。海外駐在員の心の健康管理には、体の健康管理にも増して、普段から社員と産業医は気脈を通じておくことが大切です。

 なお結果論になりますが、産業医と精神科医はうつ反応の要因として難治性副鼻腔炎には余り気に留めず、また不眠はうつの症状だとして睡眠時無呼吸症候群には思い至らなかったようです。つまり要因として「疾病起因性」よりも「業務起因性」を重視したことになります。心の歪みが体の症状として現れるのが心身症であれば、本例は上司との齟齬やそれによる大量飲酒が身体症状を悪化させたにせよ、「身心症」ともいえるかもしれません。ある徴候に囚われて考えが固定すると、他の徴候を見逃して診断を誤ることがあります。診断が主観的判断による場合が多いメンタルヘルス領域では、この点にも注意すべきでしょう。