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僕の統合失調症体験

ダイチ 26歳 男性 フリーター 未婚

始まりは不登校?

 僕は「統合失調症」です。でも、いつからその病気が始まったのか、じつはあまりよく分かりません。僕の場合、小学校から不登校気味で、精神科にはときどき通っていました。ストレス性の腹痛で不登校だったのです。でも僕はけっこう変わった子だったので、不登校のことは気にしていませんでしたね。毎日、ペット(小鳥と猫)と遊んで部屋でゴロゴロしてました。今思うと、小学校は僕にとって人間関係がキツすぎたんです。ケンカとか仲間外れとかイヤだった。僕はそういうウルサイ環境が苦手なので、学校よりも家が好きでした。

 中学も不登校でした。その頃、僕は昼夜逆転の生活をしていました。夜中に家の中を歩き回るので、母が不眠症になりました。また、自分でも気づかないうちに顔をしかめるなどの”変顔(へんがお)”をしており、姉にも気味悪がられていました。そんなある日のこと、僕は外でトラブってしまいました。コンビニに肉まんを買いにいき、「肉まんの味がいつもと違う」と店員に文句を言ったんです。翌日も味が違う。また文句を言いました。そしたら、奥のほうでサッと隠れる店員がいました。僕は、そいつが肉まんに毒を入れたんだと思い、コンビニの店長に教えました。そしたら店長が「お詫びに行きますから住所と名前を教えてください」って言い、教えたら、母が家から飛んできて、僕は連れ戻されました(笑)。それで母が市民病院の精神科に僕を連れていき、「統合失調症」と診断されたそうです。当時の僕はその診断名を知りませんでしたが・・・。中3の時の話です。

失恋ショックと入院生活

 高校時代の僕は「統合失調症」の薬を飲みながら、通学していました。高校といっても、毎日通うスタイルの普通の高校ではありません。サポート校という出席に厳しくない高校です。そして、その高校の卒業間際、僕は女性の先生に恋をして、あえなく失恋しました。人間関係のトラブルに弱い僕にとって、それは非常に衝撃であり、病気が悪化して一気に妄想が増えてしまいました。

 最初は、僕が失恋したことを近所の人が噂しているような気がしました。耳を塞いでも声が聞こえるんです。テレビのニュースも僕の失恋ニュースを流すし、バラエティでもみんなが僕のことを笑っている・・・。そのうち「先生に恋するようなバカは学校の恥だから死ね」という声が聞こえてきたので、僕は2階の部屋から飛び降りました。でも2階からの飛び降りでは大ケガをしただけ。そのまま病院へ入院しました。でもその頃の僕は、現実と妄想の区別がついておらず、拉致されたんだと思い悲しくて大泣きしました。

 入院して、薬で落ち着き、医師や臨床心理士の人に病気の説明を受け、だんだん妄想と現実の区別がつくようになりました。でもすぐには退院せずに、同じように心の病を持つ入院患者と「対人トレーニング」とか「カラオケ大会」に参加していました。そこで仲間が得られ、コミュニケーションの難しさと楽しさを知りました。それまでの僕は、母と学校の先生しか話したことがなかったけど、初めていろんな人と交流でき、貴重な入院体験だったと思います。

マイペースで病気と共存

 僕は退院後、なんと大学を受験し合格しました。本を読むことは好きだったので、国語の基礎力があったのだと思います。とりあえず大学生になった僕ですが、病院のデイケアには通い続けました。医師やカウンセラー、作業療法士の方などは、親とは違い、専門的なアドバイスをくれます。やはり、母親だけでなく他人からの支えが必要だったと思います。おかげで大学は5年かかりましたが、無事卒業しました。

 その後、就職・・・のはずでしたが、就職活動は、今はお休みしています。本当は1社受けたのですが、その緊張感に耐え切れず、ちょっと不眠が続いてしまいました。僕の場合、不眠は妄想や幻聴の始まりのサインなのです。それであまり無理はしないことにして、就職活動は止め、バイト生活をしています。

 僕のバイトは個別指導塾の教師です。一日2時間で週3日働いています。調子が悪くなると、ときどき休みますが、代わりのバイトが入ってくれます。病院のデイケアにもまだ通っています。いつか正社員として働ける日まで仲間と頑張ろうと思います。

 昔の僕にとって、統合失調症とは、”突然来て、いつのまにか消えていく謎の病気”でした。でも、今では「こういう時にやってくるな」と分かり、早めに薬の量を調節して、早く治すので、”謎の病気”ではなくなってきています。病気と自分をよく知れば、だんだん、病気にコントロールされなくなります。自分が病気をコントロールできるようになるまで、いろいろな人の手を借りて、頑張っていこうと思います。