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[事例1-26] 海外勤務により駐在員の職場不適応(夫)とうつ(その妻)になった事例

概要

年齢: 37歳
性別: 男性
職業: 家電メーカーの海外駐在員・中間管理職
その他: 妻が35歳
経過:

 春の異動で、Kさんは英国出向を命じられました。妻子を帯同したかったのですが、奥さんは3歳になる男の子を抱えながら衣料品関係の会社に勤め、服飾デザインに意欲を燃やしていました。近くの実家に住む兄夫婦に、寝たきりの実母の面倒を任せ放しなのにも気兼ねがありましたので、奥さんは夫との同行を渋り、彼は仕方なく単身赴任しました。

 現地の会社では彼は幹部社員で、日本にいた時より責任が重く多忙でした。帰宅は遅く、土日も休日出勤や付き合いゴルフ、日本からの来客のアテンドなどで休む暇がありません。任地はロンドンから車で3時間ほどの田舎町で、和食好きなのに和食レストランはなく、和食の食材もロンドンまで行かないと手に入りません。炊事は不慣れですし、そんな時間も取れません。外食にはすぐ飽きました。前任者から引き継いだ借家は広すぎて、掃除や庭の芝生の手入れにまで手が回りません。奥さんがいない不自由さが身に沁みました。

 彼は強引に妻子を呼び寄せることにしました。家族は一緒に暮らすべきだとの建前論で説得し、不自由で寂しいと嘆願もしました。奥さんは自分の仕事を捨てるつらさを、第二児、できれば女の子を生みたいという気持に置き換えて、夫の求めに応じることにしました。お盆休みをしおに、奥さんは職場の仕事仲間に惜しまれながら会社を辞め、今後数年間の不在を兄夫婦に詫び、子供を連れて渡英しました。

 イギリスのこの地方は8月末ともなると早や秋の気配が感じられ、木の葉も散り始めて景色が日毎に寂しくなってゆきます。奥さんは英語ができないので、近所の奥さん達とも片言の挨拶以上のお付き合いはできません。近くに話の合うような日本人女性もいません。Kさんは仕事がとても忙しく、帰りが遅くなります。妻子を迎えた当初はいくぶん饒舌でしたが、疲れて帰ってくるせいか口数も少なくなりました。慣れない土地での家事や子育てなどについて妻が相談を持ち掛けても、よくうるさがりました。奥さんは夫のために仕事を捨て、1日のほとんどは幼児と二人きりの生活です。デザイン関係の本を取り寄せて勉強を、とも思いましたが気が乗りません。こんな寂しい生活をどうして続けねばならないのか‥‥2か月も経った頃には、奥さんはすっかりうつに陥っていました。

 こんな暮らしはもう嫌、母の世話を義姉任せなのも気に懸かる、と奥さんは幾度も夫にくどくど訴えました。叱ればなおさら落ち込みます。眠れないといって、義姉に送ってもらった睡眠薬を連用するようにもなりました。しんどくて子供に添い寝したまま、Kさんが帰っても夕食の支度をしていないこともありました。彼は手を焼き、仕方なく妻子を帰国させることにしました。妻子を迎えて、やっと3か月が経ったばかりの頃でした。

 奥さんは日本に帰ると、すぐ元気を取り戻しました。未練たっぷりの夫の電話やメールにも、いい託児所が見つかって、元の会社にパートながら復職の目途がたち、義姉と一緒に母の世話もしたい、イギリスへはもう行くつもりはない、とはっきり返事しました。

 Kさんは心に穴があいたようでした。日本では製造部門での地道な物作りが性に合っていましたが、こちらでは対人折衝が多い管理職です。これがとても苦手でしたが、なんとか頑張ってきました。しかし奥さんが帰った後は、どうも頑張りが利きません。疲れて帰宅してもなかなか寝付けません。体調が優れずしばしば欠勤するようになりました。

 こんな矢先、彼の連絡ミスで得意先との間にトラブルが生じました。責任者がうまく収めてくれて大きな問題にはなりませんでしたが、Kさんは自責の念に駆られました。幾人かの派遣者の中で唯ひとり気が合って、頼りに思っていた先輩がその頃帰任したのもつらいことでした。以前とは様変わりの落ち込みようでした。会社の責任者も心配し、親会社の人事課長と相談のうえ、クリスマス休暇の折に彼を一旦帰国させることにしました。

 彼は半年振りに帰国し、冬休みを家族と共に過ごした後、人事課長の勧めで産業医に会いました。産業医は内科的な異常はないとして、懇意の精神科医を彼に紹介しました。精神科医は「生活環境の変化による適応障害」と診断し、「現地では任期半ばでの挫折を恐れ悩んでいたが、帰任させてもらえることで半ば踏ん切りがつき、症状はかなり軽快している。現地勤務に戻ると適応障害が再び悪化する恐れがある」とコメントしました。産業医はこの意見を受けて「海外勤務の中止が望ましい」と人事課長に通告しました。

 帰国後、彼は元の職場に戻りました。適応障害は解消し、今では普通に勤務していています。産業医が彼から後程聞いたところでは、海外に出る数年前、製造部門から事務部門に異動しましたが、この時、人を相手の仕事に馴染めず、自分は物作りしかできない人間だと悟ったといいます。幸い上司が非常に物分かりのいい人で、彼の悩みを聞き入れて人事責任者に掛け合って、1年余りで元の職場に復帰できたのだそうです。それなら海外勤務をなぜ承知したのかと尋ねると、上司の推薦があったし、以前に異例の職場復帰も認めてもらった手前、それ以上わがままは言えなかった、とのことでした。

ポイント

職場の課題と対処:

 夫婦それぞれの理由で、共に海外生活に適応できなかったという事例です。夫については、家事一切を妻に任せて好きな物作りに専念できた生活が、公私共に海外勤務で一変し、これが不適応の発端となりました。一方、妻については、自己実現の場であった服飾デザイナーの職を捨て、慣れない異国で専業主婦の道を選ばざるをえなかったことが、アイデンティティの喪失につながったといえるでしょう。夫は会社での仕事のことに頭が一杯で、妻に気を配る余裕がなく、また、会社のことを妻にほとんど話さなかったので、妻も夫の悩みを察することができなかったということも、二人の不適応の要因だったと思われます。

 海外勤務がうまく行くかどうかは、本人の適性と共に、しばしば派遣者の家庭の事情にも左右されます。人事部門は派遣者内定の際、候補者の職務能力を含めた海外適性を吟味するわけですが、諸般の事情で必ずしも最適の人材を派遣できるとは限りません。当人の申告によっては家庭の事情にもある程度配慮するでしょうが、当人には色んな思惑があって、人事担当者に心中を明かさないこともよくあります。人事担当者は当人の意思を超えて私事に踏み込むわけにはゆきません。会社の人事管理の難しいところです。

対処の評価・考察:

 本人が帰国した時まで、産業医は当人との接触はなく、関係者からの相談もありませんでした。産業医は派遣者と職務上の利害関係はなく、何事につけ相談に応じることができる立場です。普段から産業医と派遣者とが親しければ、人事担当者や上司には言えない事情も、産業医には心を許して打ち明け、産業医はさらに良い策を取れたかもしれません。

 海外派遣者は国内勤務者以上に、家族と支え合う必要があります。海外に社員を派遣する会社は、派遣者の家庭事情にも配慮すべきですし、産業医は家族も含めて心身の健康に気を配るのも仕事の一部と考えることが大切です。このため産業医と社員は、普段から親密な関係をできるだけ作っておくようお互いに心がけたいものですし、企業は社員が産業医に気安く相談できる体制を整えておくよう、配慮すべきでしょう。