働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト

社会不安障害(SAD)体験記

ジン 35歳 男性 会社員 未婚

自意識過剰な思春期

 私は現在、製薬会社に勤める35歳の会社員です。私は子どもの頃から対人恐怖気味で、人と話す機会をできるだけ避けて生活していました。大学卒業後、本当は研究者になりたかったのですが、大学院を出ていないので夢は叶わず、製薬会社の営業として現在、働いています。約2年前に「社会不安障害(SAD)」と医師に診断されました。初めて聞いた病名でしたが、医師から「昔は対人恐怖症といったんだよ」と説明を受け、納得しました。今思えば、もっと早く受診すればよかった、と思います。中学生の頃から、SADの症状に悩まされていたのですが、ずっと性格のせいで直らないと思っていました。

 私は小学校の時はマイペースで、あまり他人を意識はしていませんでした。ところが中学時代、自意識過剰が強くなり、いろいろなことが気になってきました。授業中、先生に指されると緊張でドモリ気味になったり、字を書いているところを先生に見られるだけで、手の動きが止まったりしました。給食の時間も人に食べているところを見られるのが嫌で、壁に向かって給食を食べていました。といっても、まったく話せないわけではなく、少数の友だちや家族とはそれなりに話せました。思春期では誰でもそうなのだと人から言われていたし、学生時代は知らない人と話す機会を避けていても、生活できないことはなかったのです。こんな調子で、中学・高校・大学と、あまり人と関わらないまま、社会人になりました。そして、会社生活で私の対人恐怖がひどくなる出来事にぶつかったのです。

宅配業者が恐怖!?

 私は大学卒業後、性格的に不向きともいえる営業職に就きました。20代のうちは先輩の営業の仕方を吸収する時期でしたので、多少の失敗は許されます。緊張するとドモリ気味になったり、名刺の受け渡しで手が震えたりということはありましたが、なんとか対応できました。作り笑顔も覚え、慣れれば自分も先輩のように営業ができるようになるのかもしれないと希望を持っていました。

 ところが30代に入り、先輩の代わりに自分が上司と報告のやりとりをするようになってから、昔の自意識過剰の自分が戻ってきました。上司とすれ違うのも嫌なので、できるだけ自分のデスクから離れないようにしていました。また、社員食堂など人が多いところを避けるようになりました。しかし、そういう症状が表れてまもなく、なんと自分がプレゼンで発表することになりました。非常に苦痛でした。本番のプレゼンでは、私は赤面したまま固まり、何も話せなくなってしまいました。

 その後、会社だけでなく自宅にいても対人恐怖的な症状は強くなり、宅配便の人の視線が気になり、サインができなくなりました。心配した母親に、近所の心療内科を勧められ、思いきって受診しました。医師は明るい男性の医師で、症状を細かく聞いてくれました。うまく話せるか不安だったので、メモを持っていっていきました。医師のアドバイスで、上司にも病名を報告し、「とりあえず不安が強い時は無理して人と会わないでよい」ということになりました。そして、通院による薬物療法と精神療法が始まったのです。

友人の結婚式で「治療の効果」確信!

 心療内科の治療は、薬物療法と精神療法でした。医師によると、SADの患者は、脳内物質のバランスが悪くなっているので、そのバランスを良くするために、薬を飲まなくてはいけないそうです。そして、薬を飲みながら、対人恐怖になりがちな考え方のクセを治していくのが、治療の方針のようでした。カウンセリングで気づいたのですが、確かに、私は物事をネガティブに捉えるクセがありました。いつも悲観的な未来予測をするので、不安が強くなってしまうようです。医師やカウンセラーのおかげで少しずつ物事の捉え方が明るくなり、気持ちが軽くなっていくのを感じました。

 ただ、仕事の場ではなかなか前向きな気分にはなれずにいました。しかし、そんな自分が「もう大丈夫だ」と思えたきっかけがあります。それは友人の結婚式です。招待状をもらった時、そんな大勢が集まる場所に出席するかどうか、非常に迷いました。ただ、その友人は昔からの大切な友人。病院のカウンセラーに相談すると、「後押しするから挑戦しよう」と出席を勧めてくれました。そして実際にカウンセリングで、結婚式場面を想像しながら、事前に不安を軽減していくトレーニングを行いました。そして当日、思いきって出席すると、不安なく、楽しく皆と過ごせたのです。この自信が、仕事に対する不安も払拭し、営業職として復帰するきっかけになりました。「もう治らない」、「性格だから仕方がない」とあきらめる前に、専門家の門を叩くこと。それが大事なことだと実感しました。