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うつ病-人間関係から来た毎日の不安

コウ 28歳 男性 会社員

研究室という閉鎖された空間

 私は大学時代にうつ病となりました。

 原因は4年生から入ることになった研究室にありました。社会的に閉ざされた空間で、教授との軋轢による人間関係に悩んでいました。精密さや正確さを求められる環境の中で教授にいつも怒鳴られ、緊張し、さらに失敗の繰り返しで悪循環に陥ってしまいました。

 3年生の3月から研究室に入りました。学生は私以外に先輩と同期の2名のみでしたので、相談しても私が悪いと下されるだけで、相談できる相手がいませんでした。研究室に入り1か月経った頃から、相談を自分の研究室以外の人にしていました。昼や、学校が終わってから、学部やサークルの友達に話をすることが支えとなっていました。いつも自分の味方になって話を聞いてくれていました。しかし周りの友達も、実際には自分の置かれた状況は分からないだろうと、相談すること自体やめてしまいました。

 その頃から、朝がものすごく不安で、毎朝腹痛という状況でした。ただ責任感だけで毎日辛くても研究室に行きました。夜、研究活動を終え、研究室を出ると開放された気持ちになり、しかし、ひと晩寝て次の朝になるのが辛く感じていました。

 研究室を変えられるように色々な先生に掛け合いましたが、規則により、一度休学しなければ研究室の変更はできませんでした。精神的に追い詰められ、受験時期の関係で大学院への進学もできない状況でしたので、6月の時点で休学し、研究室をやめることを決心しました。

 しかし、やめさせてはもらえませんでした。それは研究室の教授が、「今やめると君のためにならない」ということでした。今思えば、あのとき教授が言ってくれた言葉は正しかったと思えます。そして校内にあるカウンセリングを受けるように勧められました。

長期休養から通院へ

 校内のカウンセリングでは女性のカウンセラーさんが対応してくれ、今まで悩んでいた研究室での人間関係のことを打ち明けました。カウンセラーさんから長期の休みを取ったほうが良いのではという助言を受け、教授にこのことを伝え、長期の休みをもらうことになりました。ちょうど夏休みにさしかかるところでしたので、2か月間休ませていただき、実家で休養を取りました。その間は一切学校のことを考えず、ただ毎日を過ごしました。

 休み明けに学校に行くことが相当辛かったのですが、良くなっていることを信じていました。しかし、状況は以前と変わりませんでした。実家に帰っている最中に、就職することを決めたので、このような状況で、なおかつ4年生の夏から就職活動を始めることを考えると精神的に限界でした。カウンセラーさんに病院を紹介してもらい、通院することにしました。

 紹介してもらった病院は個人でやっている小さな医院。年配の先生が一人で応対しているところでした。処置は話を聞いてもらうことと、薬をもらうこと。薬は不安を和らげるものでした。先生はじっくりと話を聞いてくれました。今でも覚えているのが、初回は2時間も話を聞き続けてくれました。友達に話しても分かってもらえないと思っていたことも、すべて思っていることを話せる人になりました。

 その病院は卒業するまで半年ほど通院しました。当初は1週間おき、後に2週間おき、1か月おきと徐々に間隔を広げ、回復に向かいました。病院は近くにあり、通いやすいこともあったので、安心して継続的に通うことができました。

 この間に、両親とも毎日のように電話で話をしていました。全面的に自分の味方となってくれる両親でしたので、辛い状況だったあの時はとても頼りになりました。両親からの助言で、研究室の教授とも、お互い話をすることで環境が改善されました。

卒業と同時に回復へ

 なんとか就職の内定ももらうことができ、そして無事に卒業することができました。卒業後、会社の配属により地方に行くことになり、まったく相談できる友達がいない状況になりましたが、赴任先では「今までの苦労に比べたら」と、とにかく前向きな気持ちで臨むことができました。また卒業する頃には薬の量も減りました。薬が無いと前みたいに不安に思うことがあるのでは? と心配に思うこともありましたが、薬がなくても以前のように通常の生活ができるようになっていました。あれだけ苦しい状況を乗り越えたのだから、これからは何も恐くないと思えていたからかもしれません。

 この経験で得られたことは、話を聞いてもらうこと、話を聞いてもらえる相手がいることの大切さです。また、病院に行くまでは精神科を敬遠していた部分がありましたが、辛いと思ったら受診する大切さを知りました。薬を処方してもらうことで改善されますので、どこか精神科や心療内科を嫌がっている方がいるとしたら、一度行ってみてはと思います。これは私の場合ですが、この辛い状況がいつまでも続くわけではなく、「卒業」というゴールが見えていたので、そこまでは頑張れる気持ちを持てました。