そんな矢先のことでした。入社半年目の男性社員が連続で無断欠勤するようになり、心配した上司がアパートを訪ねてみると、なんと彼は「疲れた。もう死んでしまいたい」と言うではありませんか。
仮にA君としておきます。A君は、会社が借り上げたアパートで独り暮らしをしていました。驚いた上司から私に一報が入るや否や、まず、産業医と相談して、会社に近い精神科の医療機関へ連絡すると、一日も早く受診させるよう勧められました。すぐにA君に会い「君に今一番必要なのは専門医に頼ることだよ」と、診療を説得しました。
A君は最初、強く拒んでいましたが、根気よく説得を続けるうちに受診に応じてくれました。
医師の判断は「重度のうつ病で、すぐに休養が必要」というものでした。
慣れない独り暮らしによる不規則な生活と仕事への重圧が精神のバランスを崩した原因と考えられるため、医師は実家で休養するよう求めました。
しかし、A君は実家へ戻ることだけは強硬に拒否しました。じっくり話を聞くうちに彼の思いが伝わってきました。一流大学を出て、手前味噌ですが少しは世間に名を知られた会社へ入社を果たした彼は、家族や郷里のいわば期待の星だったのです。
そんな自分が心の病で実家に戻るわけにはいかないのだと、私たちに切々と訴えました。長男である彼は責任感も人一倍強く、家族に心配をかけたくないので絶対に知らせないでほしいと懇願するのでした。あまりにも悲壮な訴えに、医師も私たちもついに折れ、それなら勤務しながら治療を継続しようという方向で話がまとまりました。
ところが、その後すぐにまた欠勤が続くようになりました。
私は、A君との約束が心にあったものの、急を要すると判断、実家の両親に連絡して経緯をすべて知らせました。
母親が一人で飛んできましたが、予想していた通り、彼は断固母親に会おうとはしません。母親は「息子が会ってくれないのでは私はもうどうすることもできません。明日には出社すると本人が言っていますからなんとか会社で面倒を見てください」と繰り返すばかりです。
私たちは「今のA君の状態では、私たちも安全に責任が持てません。ぜひ残って、会う努力をしてください」と伝えました。
しかし、母親は首を振るだけで、「とにかく後を頼みます」と逃げるように帰っていきました。
その翌日、ついに彼と連絡が途絶えました。そして1週間後、彼は出身大学があった県内で自ら死を選びました。
警察から連絡を受け、A君の遺体を前にした私は呆然としました。死に場所に自らの出身大学の県を選んだA君の胸の内を思うと切なくて胸がふさがれる思いでした。