私は生まれも育ちも福島の人間です。
未曾有のできごとといわれた3月11日の大震災は、それまでの私の日常を大きく変えました。
津波の被害が大きかった宮城県や岩手県のみなさんの気持ちを思うと今でも胸が痛くなりますが、それに加えて私たち福島の人間には原発事故という追い打ちがかかりました。
あの日のことを思い出すと、今でも足が震えます。
あの夜、確か9時を少し回ったころだったでしょうか。体育館の避難所に向かいました。
避難所ではテレビがつけっぱなしの状態でしたが、その映像を見て、どうにもならない不安が爆発しました。繰り返し流れ続ける津波の映像。そして原発の爆発。これまでには想像もできなかったできごとが、私の身近で起こっている。
そんな現実を受け入れる前に、突然日常から引きはがされた戸惑い、帰る家がないという肉体的、精神的な疲れから、私自身かなり追い込まれていたのだと思います。
さらにテレビ局が連日のように押し寄せ、かつて故郷では経験したことのない騒ぎに私の不安は高まる一方でした。段々と人に会うのも怖くなり、持病のぜんそく薬の薬が切れても病院へ向かう元気さえ起こらない状態でした。
私はどうなってしまうのだろう。頼みの綱の持病薬も切れ、慣れない避難所生活で、気持ちがどんどん後ろ向きになっていく自分がいました。家族も支えようと励ましてくれましたが、立ち上がる気力さえ起きない日々が数日続きました。