うつ病を克服し復職へ 30代男性(銀行員)
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うつ病を克服し復職へ 30代男性(銀行員)
わたしの体験
栄転先で待っていた苦しみの日々

地方支店で人事係長をしていましたが、春の人事異動で東京本店の人事課長に抜擢され、上京しました。
素直に栄転を喜び、一生懸命働いて会社の期待に応えたいと、気力にあふれた毎日でした。
しかし、不慣れな土地で、しかも労働組合との折衝というそれまで経験したことのない仕事がだんだん重荷に感じるようになりました。
組合からの突き上げが強く、さまざまな要求を出されますが、新参者の私にはきちんと対応する術もありませんでした。いきおい、直属の上司からは激しい叱責を受けることが多くなりました。

私は自分でいうのも気が引けますが、まじめで責任感の強い人間だと思っています。
誰かに相談すればよかったのでしょうが、親しい仲間もいない職場で、何とか一日も早く仕事をバリバリこなしていきたいと、度重なる叱責のダメージも一人で耐えました。

3カ月ほど経った頃、しばしば心臓のあたりに強い痛みを感じるようになりました。循環器科を受診した結果、検査では異常なしということでしたが、なかなか痛みはとれませんでした。
本店で働き始めて半年くらい経った頃でしょうか、今度は毎朝決まって激しい頭痛に襲われるようになりました。肩凝りもひどくなり、吐き気を覚えるほどでした。
無理をして通勤電車に乗り込んだものの、頭痛や胸のむかつきに耐えられず、途中下車することが多くなりました。
当然、遅刻が続きます。仕事のペースは一段と遅くなり、上司の叱責は激しくなる一方でした。

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元同僚のアドバイスが妙薬に

私はゴルフが趣味で、支店時代は地方ということでプレー費も安く、同僚ともしょっちゅう楽しんでいました。
それが格好のストレス解消になっていましたが、東京はプレー費も高いうえ、気軽に誘い合あえる仲間もできず、ゴルフのことはあきらめていました。
何よりも、ろくな仕事もできない人間にゴルフをする資格はないと自分を追いつめていました。
あるとき、かつての同僚から電話がかかってきました。新天地での仕事はどうか、ゴルフの腕前は少しは上がったかなどと他愛もない話でしたが心が和みました。詳しい話こそしませんでしたが、ゴルフをやっているような身分でないというと、仕事をバリバリやるためには息抜きが必要だといわれました。

不思議なもので、ゴルフも仕事を頑張るために必要なものだと考えると少し気分が楽になりました。
本店への抜擢人事なのに、今まで築き上げてきた仕事への自信がどんどんなくなり辛い毎日でしたが、元同僚の「もっと今の職場の仲間を信じ、上司にも相談して」というアドバイスも胸にストンと落ちました。また、その時にうつ病にかかっている可能性もあるので専門医に一度相談してみてはという真剣な彼の声に、私は受診してみることにしました。

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休職、そして再び働き始めるまで

その後も激しい頭痛はなかなかよくならず、脳神経外科を受診しました。ここでも異常なしといわれましたが、医師から心療内科への受診を勧められました。
診断の結果うつ病と分かり、休職を決意しました。

思い切って休職したことで、職場は発症の経緯に理解を示してくれました。
せっかく抜擢してもらいながら期待に応えられないことで苦しみ続けてきましたが、もっと早く上司に心を開いて相談するべきでした。

治療は6カ月に及びました。症状が改善してきたと判断した主治医は、職場復帰に向けての対応を進めてほしいと、職場に診断書を提出してくれました。
会社側は産業保健のスタッフと協議を重ねて、受け入れ方針を作成してくれました。上司はすでに異動になっていたため、元の職場への復帰という形で話が進んでいきました。

最初の3カ月間は勤務時間を短縮してもらうなどいろいろ配慮をして頂きました。
私は復職後も医療機関への受診を続けながら、今は平常の勤務に戻りました。
一人で抱え込まないで、周囲を信じ相談すること、たまには好きなことに没頭すること、自らの発病を通じて学んだことをいつまでも忘れないでいたいと思っています。

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