東日本大震災と原発事故 人生を変えた試練との闘い 40代女性 看護師
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東日本大震災と原発事故 人生を変えた試練との闘い
わたしの体験
突然の恐怖が生んだ大きな不安

私は生まれも育ちも福島の人間です。
未曾有のできごとといわれた3月11日の大震災は、それまでの私の日常を大きく変えました。
津波の被害が大きかった宮城県や岩手県のみなさんの気持ちを思うと今でも胸が痛くなりますが、それに加えて私たち福島の人間には原発事故という追い打ちがかかりました。
あの日のことを思い出すと、今でも足が震えます。

あの夜、確か9時を少し回ったころだったでしょうか。体育館の避難所に向かいました。
避難所ではテレビがつけっぱなしの状態でしたが、その映像を見て、どうにもならない不安が爆発しました。繰り返し流れ続ける津波の映像。そして原発の爆発。これまでには想像もできなかったできごとが、私の身近で起こっている。
そんな現実を受け入れる前に、突然日常から引きはがされた戸惑い、帰る家がないという肉体的、精神的な疲れから、私自身かなり追い込まれていたのだと思います。

さらにテレビ局が連日のように押し寄せ、かつて故郷では経験したことのない騒ぎに私の不安は高まる一方でした。段々と人に会うのも怖くなり、持病のぜんそく薬の薬が切れても病院へ向かう元気さえ起こらない状態でした。
私はどうなってしまうのだろう。頼みの綱の持病薬も切れ、慣れない避難所生活で、気持ちがどんどん後ろ向きになっていく自分がいました。家族も支えようと励ましてくれましたが、立ち上がる気力さえ起きない日々が数日続きました。

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本当に大切なものへの気づき

4日後に避難所に移った私に明るいニュースが待っていました。
避難所に近い総合病院でぜんそくの薬を出してもらうことができたのです。
避難所では、ボランティアの方達がとても親切にしてくれました。不安な気持ちは依然として消えることはありませんでしたが、見ず知らずの私に良くしてくださる方々に、感謝の気持ちで言葉も出ない程でした。

避難所暮らしは結局5カ月にも及びましたが、8月8日、ついに一時帰宅することになりました。
先に一時帰宅した人からは悲惨な状況を聞かされていましたので、正直家に戻るのが不安でなりませんでした。
思っていた通り足の踏み場もないほど散乱していましたが、持って帰りたいものを書いた紙とにらめっこしながら必死で家の中を探しまわり、どうにか目的を果たすことができました。原型をとどめない程の散乱ぶりでも、我が家というだけで何がどこにあったか覚えているものなのですね。

その日は猛烈な暑さでした。防護服を身にまとい、放射線量測定器を首からぶら下げ何とも不思議な格好で家の中を長時間歩き回ったためか、暑さと疲労で具合が悪くなる人が続出しました。
私も頭がくらくらしていましたが、絶対持ち出そうと心に決めていた子供のアルバムを目にしたとき、少し元気が湧いてきました。とにかく、まずは一時帰宅できる家が残っていたこと、大切なものに再会できたことを幸せに思おうと自分に必死に言い聞かせました。
後ろ髪を引かれつつ、懐かしい故郷の姿をしっかり目に焼き付けて避難所に戻りました。

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きっと立ち直る!

避難所生活が長くなるにつれ、私は半ば家に戻ることをあきらめていたのだと思います。
しかし、一時帰宅をしたことで「家に戻りたい」という気持ちが溢れ、突然現実を受け入れることが辛くなってしまいました。
さらに悪いことに、私は私自身に追い打ちをかけるように、こんな弱い気持ちではだめだと、ひたすら自分を責めてしまったのです。出口のない感情に追い込まれた私は、避難所生活に慣れることで、少しずつ見え始めてきた希望を再び見失ってしまいました。

しばらくの間は、絶え間なく揺れ動くこころの葛藤との闘いの日々でした。
そんな私に暖かい手をさしのべてくださったのが、同じ病院で働く心療内科の先生でした。
自分ではどうにもならない感情に、私は思わず「助けてほしい」とメールしました。
すぐに届いた先生からの返信には「あなたは決して弱くはない。看護師として働ける日が必ずきます」とありました。その言葉が本当にありがたくて、思わず涙がこぼれました。

これまで経験したこともない恐怖、そして原発事故によって大切な故郷へ戻れないという寂しさ、悔しさ。大好きな看護師という仕事には二度と就けないかもしれないという絶望感など、この半年の間にあらゆる感情を味わいました。
自分を情けなく思い、自分を責め続ける私に「悲しくなったり寂しくなったりするのは人間の自然の感情ですよ」と、先生は常に繰り返し励ましてくれました。
この半年間、何度も生きる意味を見失いましたが、今、ほんの少しずつ、顔を上げ始めています。
もう一度看護師に戻りたい。そして、今度は私が、苦しむ人の力になりたい。その日を夢見てゆっくりと歩き始めています。

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