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[事例1-6] 職場と家庭双方のストレスで休職に至った不安神経症の事例

概要

年齢: 27歳
性別: 女性
職業: 財務担当社員
経過:

 残暑まだ厳しい9月のある日、財務課長が産業医に会いにきました。部下の女子社員が6月頃からなぜか元気がなく最近は仕事のミスも多い、時どき急に欠勤するので心配していたら案の定、数日前から続けて休んでいる、とのことでした。医院でもらった薬を飲んでもすっきりしないので、しばらく休ませて欲しいと本人から連絡があったそうです。

 そういえば1か月余り前、急に気分が悪くなったと、蒼ざめた顔で医務室にやって来たことがありました。内科的な異常はないと見当をつけ、妊娠していないことも確かめて休養室で休ませたら、やがて楽になったと言って職場に戻って行きました。そんなことから産業医はこの度の欠勤はメンタルな問題のせいだろうと感じ、体調が良くなったら医務室に顔を出してくれるよう、課長を通じて彼女に伝えてもらうことにしました。

 数日後、彼女は実の母親と一緒に現われました。「ご心配をお掛けして済みません」と落着いた物腰で、さほど不健康な感じはしません。どう具合が悪いのか、何か悩みでも? 職場に知られたくないことは知らせないから遠慮なく話して欲しい、と水を向けると、彼女は割りとはきはきと話し始め、母親が時どき横から口を添えました。それによると‥‥

 「大学院卒業後、外資系の銀行に勤めていましたが、昨年7月に退職して9月に結婚し、夫の実家で暮らすことになりました。婚家には姑と大姑がいて、この二人の仲が悪く、その間に立ってどちらに味方することもできず、たいへん気を遣いました。そんな煩わしさから逃れるため、夫と相談して再就職することにしました。今年の3月、この会社の偉い人と昵懇(じっこん)という知人の伝手(つて)で、不況のさ中なのに幸い入社することができました」。

 会社では、財務担当の女子社員が近々結婚退職するため有能な後任を探していた矢先で、彼女が一流大学院卒で、銀行での実績も評価したようです。

 「ところが入社後、前職の経験があまり役立たず、仕事が量・質ともに過重なことに、まずプレッシャーを感じました。パソコンは得意で程なく仕事の要領は飲み込めましたが、社内の状況が見えて来るにつれ圧迫感を覚えるようになりました。前職では人間関係が爽やかで、のびのび仕事ができました。それに引き換え、ここは上意下達の縦社会で、不合理に思えることにも口を出せない雰囲気があります。課長は人間的にはいい人で尊敬していますが、仲のいい同僚は誰もいません。それとなく周りの女子社員のねたみも感じます」。

 「疲れて家に帰ると、それぞれ自分流儀にこだわる姑、大姑に気を遣い、夫は優しいけれど親にも優しく、後ろ盾にはなってくれません。こんな矢先、大学院のゼミで指導を受け、卒業後も何かと頼りにしていた教授が突然亡くなり、たいへんショックを受けました。それ以来あまり眠れず、よく吐き気がします。頭が重くて体がだるく仕事に集中できません。落ち込んで涙が出ます。出勤途上、満員電車で急に気分がものすごく悪くなったことがあって、それからは満員電車に乗るのが怖くて、電車が空いている早朝に出勤しています。それでも不安で、駅から家に引き返すこともあります。今日はそれで母に付いてきてもらいました。

 婚家で暮らすのはとてもつらく、今は実家に帰っています。夫は案じてくれますが、姑、大姑の許しは得ていないので、身も縮む思いです。一体どうすれば‥‥」

 重くのしかかった職場と家双方のストレス。産業医は専門医への受診が必要と判断しました。「心の疲れを癒す専門家に一度相談されてはどうでしょう。ご婚家のことは何とも言えませんが、会社でのことについては、まず課長に気持を分かってもらうのがいいのではないでしょうか。課長も心配されています。よければ私から伝えますが」というと、彼女はしばらくうつむいていましたが、母親に促されて「お願いします」と小さく頷きました。

 数日後、彼女は産業医が紹介した精神科医の面接を受けました。精神科医によると、「当初はパニックの形で発症したようですが、その後は不安神経症が前面に出ています。しばらく休養と薬の服用が必要で、2週毎に面接します」とのことでした。2週後、彼女は再び面接を受けました。それによると、彼女は最近父親が買ってきたインコの飼育に熱中し、子供に返ったような言動が見られるそうです。幻聴もあるようで、とても仕事に戻れるような状態でなく、当分出勤は難しい、との精神科医の見立てでした。

 その次の面接の帰り、彼女は父親に付き添われて医務室に立ち寄りました。「精神科の先生とお話しすると気持が落ち着きます。とてもいい先生を紹介してもらって感謝しています」と言います。新聞は読む気になれず、本も駄目ですが、実家へ帰ってからは夜は良く眠れ、朝は爽やかで食欲もあるそうです。父親は「娘の病状について認識が甘かったと責任を感じています。会社に迷惑をかけて申し訳ない思いです」とひたすら低姿勢でした。

 この時、父親が婚家のことに触れようとすると、娘は「そんなプライベートなこと言わなくていいの」と遮り、父親は意外に素直に「ご免なさい」と頭を下げて謝りました。医務室を出た二人は、恋人同士のように腕を組んで寄り添うように帰って行きました。

 精神科医によると、私に心を傾斜させるのは、インコを溺愛したり、父親にべったりなのと同質だ、なにかのきっかけで簡単に心が反対に揺れる脆さを感じる、との意見でした。

 休職に入って、今でもう3か月が経ちます。それ以後、彼女は姿を見せません。

ポイント

職場の課題と対処:

 まず、課長は、彼女の「なぜか元気がなく、最近は仕事のミスも多い」、「時どき急に欠勤する」という異変に約3か月前に気づいていたわけで、こうした部下の不調を認めた場合には、少しでも早く産業医あるいは産業看護職につなぐことが大事でしょう。  また、課長は「できれば何とかしたいのですが、会社の伝統的な堅苦しさは何とも‥‥」とこぼしました。産業医は言いました。「彼女が会社に馴染めなかったのは、恐らく性格や育った環境のせいで、相性が悪かったとしか言えないでしょう。責任をお感じになることはありませんが、一般的に上司としては、例えば『石の上にも3年、そのくらいは苦労しないと本当のことは分からないよ』などと言わずに、時には若い人の直言に耳を傾けて、職場の風通しを良くする気遣いも欲しいですね。直感的、一面的であっても、中には若々しい感性から出た良い意見もあるはずです。これを公正に吸い上げて、会社の業務なりポリシーなりに活かすよう考えることは、会社の活力を高めるためにも必要ではないでしょうか」。

 洞窟や廃坑の調査には、酸欠を感知するため籠のカナリアを先導させるといいます。周りの空気が悪ければ、繊細なカナリアは先に斃(たお)れるのです。

対処の評価・考察:

 彼女は両親、特に父親の寵愛を受けて世間の風を受けずに育ち、大学から銀行までの生活は快適そのものでした。秀才との自負もあったでしょう。ところがその後事情は一変し、幸せなはずの結婚生活は思いもかけず陰鬱で、そこから逃れるための会社勤めも重苦しいものでした。夫は優柔不断で頼りにならず、頼りにしていたゼミの教授は急死しました。課長は誠実ですが、心理的に遠い存在です。だから父親に縋(すが)るほかなかったようです。

 産業医は職場において労働者の心身の健康を守るのが職務であり、全生活について責任を負うものではありません。ところがメンタルヘルス不調の要因が職場外にある例も少なくありません。上司や産業医は、善意からにしろ労働者の私事に踏み込むのは適当ではありません。職場外要因を含めて傷ついた人の心を修復するについては、精神科医やカウンセラーに支援を求め、専門家と連携して支援の輪を紡(つむ)ぐのが大切だと思われます。