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[事例2-1] 製造業における有機溶剤ばく露により生じた精神障害の事例

概要

年齢: 36歳、男性、製造業(電子部品、特に基盤の製造)
生活歴、家族歴:

 これまで入院に至るような大病は経験していません。家族歴で特記すべきことはありません。高校卒業と同時に現在の会社に就職しています。

症状:

 お盆過ぎ頃に、食欲が無くなって疲れ易く、注意力・集中力の低下を覚えました。夏バテのような症状は何回か経験していたので、特に気にすることもなく過ごしていました。

 しかし、症状は改善せず、不安感・焦燥感・いらいらし易さ・気力の低下も出現し、夏の盛りが過ぎたのに急に大汗をかいたり、逆に寒気を感じたりするようになりました。

 本人や家族は、仕事に疲れてノイローゼ気味になって来ていると思っていました。会社では「遊び過ぎ」と、からかわれていました。

健康診断結果:

 秋の定期健康診断で、上記の自覚症状を訴える患者の様子は、動作がやや鈍く、表情も乏しくて、全体的に、ごく軽度ですが意識の障害が疑われるような印象を与えていました。神経学的検査では、錐体路徴候(中枢性の神経障害で出現するサイン:上腕二頭筋・三頭筋・膝蓋腱反射の亢進、ワルテンベルグ反射亢進、バビンスキー徴候の出現)が認められました。

勤務状況:

 上記の患者の訴え・診察所見から、一次性の精神障害ではなく、有機溶剤中毒による二次性の精神障害と自律神経障害が疑われたため、作業内容と作業環境を確認しました。

 作業はドラフトの中の有機溶剤を用いた基盤材料洗浄作業でした。本人はドラフトの前に立って作業を行っていました。

 作業室全体を快適な室温に調節するための、空調設備は十分な性能を持っている、ということでしたし、作業室内空気と外気を入れ換える全体換気装置にも問題は認められませんでした。ドラフトの局所排気能力は十分強力なものです。しかし、部屋全体に有機溶剤の臭いが漂っていました。ということは、行われている作業に対して、作業室の全体換気装置能力、もしくは、ドラフトの局所排気能力は十分とはいえない可能性を示していた、ということです。

 部屋全体に漂う有機溶剤の臭いは、それほど刺激的なレベルでもなく、本例のような症状を引き起こす濃度にまで上昇しているかどうかは疑問でした。

 しかし室内の有機溶剤濃度とは無関係に、本人が有機溶剤蒸気に暴露した理由は、空調設備を運転してみて明らかになりました。

 作業室全体に対する空調設備は、夏の暑さに対して快適な室温を保つのに十分な性能を有しておらず、空調の吹き出し口から作業者の近くまで、直径20cm程度の蛇腹導管が設置され、直接、作業者に冷気が当たる工夫がしてありました(図参照)。その吹き出し口は、ドラフトに吸引される室内空気の動きと反対の気流を生じる向きに設置されていました。そのため、作業者は、涼しくはあっても、ドラフトから引き出された有機溶剤を多量に含んだ空気を恒常的に吸引することになってしまっていました。

診断:  上記の錐体路徴候は、長時間の有機溶剤蒸気吸入の結果、神経系の上位神経が障害され、上位神経の下位神経に対する抑制力が相対的に弱まり、下位神経の反射が亢進して出現したものと解釈されました。自律神経失調様症状は、有機溶剤中毒によるものか、精神的な不安定性に伴って、自律神経系が揺らいだだけなのか、これらの症状のみでは診断は特定できません。したがって、最終診断は次のようになります。
疾患名: 「揮発性溶剤使用による精神および行動の障害、主としてうつ病性症状のもの(ICD-10、F18.54)」。
対処:
  1. 1 精密検査と管理区分の決定
  2. 2 管理区分に応じた事後措置
  3. 3 職場診断と作業環境の改善

職場の課題

 製造業での精神神経症状を性急に一次性の精神神経疾患と速断してはなりません。もう一度、作業との関連から見直して、確定診断のための精査を行うべきです。

 この症例のように、特に有機溶剤を使用する製造業での症例に対しては、必ず同時に神経学的検査を行います。必要でなら、脳のMRI・CT検査や脳波検査を行い、血液・尿の生化学的検査の結果と併せて総合的に判断します。

 事態がそこまでに至ったということは、日ごろの産業医の職場巡視が不十分であったということも含めて、安全衛生管理体制、つまり事業所の総括管理に不備があったことを意味します。このような場合には、診断が確定し、治療が行われたとしても、対応が終わったとは言えません。4管理(健康管理・作業環境管理・作業管理と総括管理)と1教育(労働衛生教育)を通じて作業環境が改善され、作業管理が適正に行われるようしなければなりません。

 また、定期健康診断も、そのすべてを専門の健康診断機関に委ねるのではなく、少なくとも、年1回の法定定期健康診断ぐらいは、産業医自身が一人一人の労働者の胸に聴診器を当てることを目指すべきです。一人一人の労働者の心の中に、『自分たちの心身を護ってくれる先生』という位置付け、またはその芽だけでも、生まれていなければ、自分の心身についての相談を、産業医に持ちかけることなどないはずです。地味な日常的活動抜きでの、名のみの「産業医」にメンタルヘルス活動での役割を期待することは出来ません。

参考

 一般に慢性有機溶剤中毒の神経症状は、有機溶剤の種類によって、主として影響を与える神経系の部位や、影響が現れる時期が異なります。部位の違いでは、末梢性神経炎や筋力低下・筋萎縮を起こし易いもの(例:ノルマルヘキサン)、精神症状を含む皮質性の症状を起こしやすいもの(例:トリクロロエチレン、エチルエーテル、トルエン)、脳神経症状を生じ易いもの(例:酢酸エチル、メチルアルコール)などがあります。

職場の空調設備