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[事例1-9] 業務難航による無力感から自殺した事例

概要

職場・家庭での状況:

 A氏は58歳男性。大学卒業後、某大手企業に事務職として就職し、当時は5人ほどのセクションで管理職を務めていました。

 同僚、知人から聞いたところでは、淡白でおとなしい性格で家庭内でも妻や子供との交流は希薄だったようです。夫人は職業をもち子どもも成長していていたので、帰宅してからは一人で食事をとり、その後は自分の部屋で一人でくつろぐ生活だったようです。

勤務態度は良好で、一貫して事務部門でキャリアを積み、総務的な事務では充分な知識と経験があったということです。

 「有能で大抵の問題は淡々と対応し割り切ることが上手なひと」というのが同僚らの見方でした。

事件の概要:

 この会社の嘱託産業医は、ある日、A氏が以前から親しくしていたB氏から「知合いのA氏がメンタルヘルス不調でクスリを処方されている。仕事上の問題がきっかけのようなので面談してもらいたい」と依頼されました。

 面談当日に来室したA氏は着衣がルーズなうえ、誰でもオヤッと思うような自暴自棄的な雰囲気がありました。私が挨拶すると、視線をそらしたまま「何でも聞いてください。どうせ仕方のない人間です」と言いました。

体調等を尋ねると、半年ほど前に消化器症状をともなった強い疲労を感じ医療機関を受診したところ”異常なし”でしたが、メンタル面の指摘があり心療内科を紹介されたとのことでした。その心療内科には現在も受診していて、今は体調面の問題はないが焦燥感があって仕事が手につかないとのことでした。

 自棄的な雰囲気や焦燥感が強いこと、また心療内科からも勧められているとのことだったので一旦休職とし、週1回の面談を約束して終了しました。次の面談では、気分的に安定しているようで雑談で終了しましたが3回目は来室しませんでした。その後日、A氏の夫人から産業保健スタッフに電話があり、家庭で落ち着きがなく対応に困っているとの相談だったようです。連絡を受けた産業医は、すぐに心療内科を受診させるよう指示しました。

 夫人からの電話を受けた数日後、スタッフからA氏が行方不明になっているとの連絡があり、さらにその数日後に残念な結果が判明しました。

職場の課題:

 上司や同僚によれば、A氏の様子が急に変化して焦燥感が出始めたのは嘱託産業医に面談する1か月前あたりからだったようです。この時点では心療内科を受診していることや、上司や同僚が常に話し相手になり必要な事務処理等は代替していたので、ラインのケアはそれなりにできていたと思われます。

 上司は、A氏の体調不良が明らかになってからは、業務上のアドバイスや有給休暇を認めるなど必要な支援をし、定時退社を心がけるよう伝えていました。ただ、職場から情報が入っていなかったため、産業保健スタッフによるケアはありませんでした。

考察:

 不調を来たした当時の業務は関係団体間の利害調整で、最終的に目的に沿った方向で合意形成に道筋をつけるというものでした。A氏がそれまで経験してきたのは規則や事例に照らして事務処理を行う業務で、規則や前例が存在しない調整業務は初めての経験であり、調整の難航もあって心理的負担は大きかったようです。しかし、この事例の本質は、単なる業務上の心理的負担ではなく、積み重ねてきたキャリアへの自負喪失にあったのではないかということです。それは、初めて面談したときに発したA氏のことばに象徴的に表れています。現在の職場環境は常に大きく変化する可能性をもち、過去の経験がどの程度変化する職場の中で応用できるかは疑問のあるところでしょう。定年まで3年を残したA氏が感じたであろう無力感とキャリアへの自信心の喪失は、それまでの人生の意味を問うことになったのではないでしょうか。

とくにそれなりの学歴や管理職である社員については、メンタルヘルス不調の背景にこうしたキャリアの問題があり得ることを承知している必要があります。多くの場合、こうした状況は本人が何らかの方法で克服していくのでしょう。しかし、この事例に即していうなら、本人の性格と家族からも孤立した状況の中ではやはり早い時期に臨床心理士によるカウンセリング等の専門的なアプローチにつなげる必要があったと思います。

ポイント

 職場は、メンタルヘルス不調者をかかえ込むことなく、すみやかに産業保健スタッフに連絡する必要があります。たとえ専門医に受診していても、産業保健スタッフは社内の広範な情報をもとにより適切な支援ができる可能性があり、その判断にも時間が必要です。セルフケア、ラインケアはあくまで職場の活性と気づきまでであり、以降の判断は産業保健スタッフに委ねられねばなりません。